いつも使ってきた言葉を最近使わなくなってきたことに気づく。
やはり情報がメールやFecebookなどで手に入るからなのか、
ニューヨークにいる娘とは毎週 Line で話している。
手紙を書くことも随分と減った。
この挨拶には様々な意味が含まれている。
相手へのまなざし、気遣い、思い遣り。
今年の台風が様々な爪痕を残したように、日本という国は古代から
災害や疫病に見舞われては復興し、たくましく生き抜いてきた。
互いを思いやる言葉にはそんな気持ちが込められている。
何事もなく安泰であることを願い、その思いが挨拶として残ったのだろう。
「おもてなしの心」にも、こうした精神が受け継がれている。
善光寺表参道でギャラリーを経営して、我が店でも、これから参拝する方には
「いってらっしゃいませ」と言い、参拝のお帰りに立ち寄られた方が店を出る時
には「お気をつけお帰りください」と声をかける。
当たり前と思って、言ってきた言葉の中にもそれはあった。
思いがけなく知人に会ったら、「お変わりないですか」と言い、
病気であったと分かれば、「お大事に」と言って分かれてゆく大人を見て育った
私たちがこういう言葉使わなくなったら、その子供たちはどんな風に育つだろうと想像してみる。
今宵は9月15日、満月である。お団子を15個丸めながら、
一個ずつ丸めては、ちょっと指で押して凹ます。
それは私たちが未だ命が満ちていないからという意味だ。
だから、亡くなった方のお供えする時、白米をまん丸に盛るのは、命満ちましたということでお月さまのように盛るのである。
そんなことを私は教えている。
今宵は月を眺めながら、手紙を書こう。
メールでもLineでもなく、手紙で。
もちろん書き出しは「お変わりないですか」と。
来月の十三夜にはまた月にまつわるお話をしてみよう。
「しつらい月語り」とでも称して。