「雑節」(ざっせつ)とはなんですか?
日々の生活にとって、暦は時間的基準であり、言い換えれば、時の流れを数え、時間の経過を知るための物差しを意味します。
太陽の出没により、1日というものを割り出し月の満ち欠けによって
1ヶ月という大きな単位を計り、季節なり時間なりをしるしたものです。
暦のことを「日読み(ひよみ)」ともいいますが、一般的には日・月・星の動きを見て 、一年の時間的長さと季節を定める方法です。
本来、暦は、時間的な意味の現在を確認し、その上で季節の循環、変化を予知し、現象(災害など)への対応策、あるいは心構えをするためでもありました。その情報をもとに、様々な予定(行事・祭り・農作業)をたてる季節の道しるべなのです。
日本の旧暦を学ぶ時、二十四節気、七十二候はお茶やお花の中にかろうじて伝承され最近書店においても、「二十四節気」「七十二候」は並んでいます。
実は「雑節」も日本の農業には必要な暦なのです。
しかし、「雑節(ざっせつ)」になるとあまり聞きなれないのではないでしょうか?
1873年に太陰太陽歴(旧暦)から太陽歴に改められた後も、旧暦の名残りとしてあります。
今でも農家にとっては 必要不可欠な暦だからです。
しかし、意外に聞いたことがあり、「何だこれが「雑節」?」となるでしょう。これこそ「温故知新」です。
そもそも「雑節」とは、季節の移り変わりの目安になる日の総称です。農業に従事する人々にとって、二十四節気(中国で作られた暦)では十分に季節の変化を読み取れないため、その補助として「雑節」ができました。積み重ねてきた生活の知恵の結晶として農作業の目安にしてきた日本独特の暦です。
「雑節」とされる日
①「節分」(立春の前日)
②「春彼岸」(春分の日を中日として7日間)
③「春の土用」(立夏の直前18日間)
④「八十八夜」(立春から数えて88日目)
⑤ 「入梅」(太陽の黄径が80°に達し日)
⑥「半夏生」(太陽の黄経が100°に達した日)
⑦ 「夏の土用」(立秋の直前18日間)
⑧「二百十日」(立春から数えて210日目)
⑨「秋彼岸」(秋分を中日として7日間)
⑩「秋の土用」(立冬の直前18日間)
雑節が考え出された背景には、「自然現象」と深い関わりがあります。農家が季節の移り変わりを正確に理解できれば、農作物に多大な損害を出さずに済むという切実な問題があったのです。
近年、天気予報などの情報が進化して、かなりの対策はとられるも、今回の台風のように、自然災害は未だ人間の予想を超えるものです。私たちの先祖、古代の日本人にとっては、こうした知恵を積み重ねることで、生き抜いてきたのです。それは今も変わらず続いています。
「八十八夜の別れ霜」
急に気温が下がり遅霜(晩霜)がふり、農作物に被害が出ること。
「もうすぐ八十八夜だから霜が降りる前に対策しよう!」とか農作業の目安となりました。
「二百十日」(にひゃくとうか)、「二百二十日」(にひゃくはつか)「八朔」(はっさく)は農家の「三大厄日」とされ、現在のように台風の予測ができなかった時代、この日を恐れ、警戒しました。
「風祭」の風習も、風を鎮め、収穫の無事を祈るため日本各地にあります。*越中八尾の「おわら風の盆」
このように、聞いたことがあっても、その言葉の来歴は年々薄れていく今の時代、今回の台風の被害を思うと、「二十四節気」「七十二候」「雑節」のそれぞれの役割を先祖からの伝承として受け継いでいくことを今だからこそ考えてみましょう。
季節のある日本の素晴らしさも大切ですが、その苛酷な環境(地震、水害、風害)を生き抜いてきた日本の復活力は私たちの未来に勇気を与えてくれます。
いつ自分がその中に立たされたとしても、この重ねてきた知恵の断層がある限り、伝えていくことで復活できるでしょう。
災害地へ祈りを込めて、11月の室礼を行います。
次回山上家の室礼は「栗」と「柿」を使います。
栗は「苦」が「離れる」と言い換え(見立てる)、
柿は「喜 来」で(喜び来る」とします。
震災の「苦しみ」が早く離れ、「喜び」が早く訪れますようにと思いを掛けて「苦しみ離れ、喜び来る」とします。
毎年3月11日に東日本大震災に行っている室礼です。
干し柿を使った室礼です。
人を思い、心を添わせて設えてみませんか。
ボランティアには行けずとも「祈りの力」はきっと見えない力となり、友人、知人、被害に遭われた方々の心に届くでしょう。
【室礼(しつらい)とは、3つの調和で成り立つ」
1)いつ?季節(二十四節季)
2)どこで?(家、仕事場)
3)何を誰のために祈るか?(自分の家族、友人、お客様)
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