春分より数えて15日目は、二十四節気の「清明」にあたります。
読んで字のごとく、すべてのものが清く明らかに、生き生きとするころを示します。
この「清明」の由来は古代中国、唐代以降の習俗が原点となっています。
中国では、春の新緑への憧れから、先祖の墓参りを口実に郊外に出かけ酒宴に興じたのが習慣化し、野遊びを楽しみました。
これを「踏青」と言って、春の青草を踏んだことに由来します。
まさに現在の「お花見」に通じ、長い冬から解放された日本人が桜の下で酒宴を開くのもここに原点があるのかもしれません。
清明は春の季語でもあります。
手紙の書き出しも(清明の候)、また「青草」とは、春に萌え出た若草のことです。
春の色を「青」とするのは、中国の「五行説」という思想に、春を「青」で示したことから、緑を指して「青」というのです。
緑なのに「青葉」、「青によし奈良の都」とは、「緑豊かな奈良の都」を言います。信号が緑なのに「青信号」といい、また、「青二才」は若くて未熟者を指します。
「青鞜」を読み解けば、萌出(もえいずる)とは若さを象徴しており、今の流行りの「青春」を「青い春」または「アオハル」というのも、季節に、人の人生を当てはめれば、理解できます。
古代人の感性おそるべし!
室礼は、「清明」の元となった禅語「清浄明潔」を軸にして床の間に掛け、桜の枝を花器にあしらうのもシンプルです。
床の間のないマンションにしつらえるとすれば、玄関の下駄箱の上に緑のフェルトを敷き一升枡を置きます。枡の中に和紙を入れ、中に白とピンクのあられを盛ります。升の後方に一輪差しの黄色の水仙をおけば、水仙の黄色が「太陽」を表します。升の中の「あられ」は青鞜の時代、古代人の携帯食だったということから使います。
升は酒宴を象徴し下に敷いた緑のフェルトが青鞜の「緑」を表します。独り住まいなら、小さい升を二個重ねて、上の升にあられを入れると良いでしょう。枡を片口にするのも有りです。外を象徴する「水仙」と「あられ」、酒宴を表す「升」、青鞜の青を「緑のフェルト」で見立てた身近な室礼です。
日本を知れば、その根の深さに驚きます。見えていない日本の根っこを探してみましょう。
次回は4月7日の長野市の「花まつり」の室礼について書いてまいります。
Comments